レースで活躍するアプリリアの全て

レースで活躍するアプリリアの全て

始まりは自動車生産

アプリリアの創業は以外と早く、第二次世界大戦直後になります。
このときはオートバイではなく自転車生産で、1968年創業者であるバリエ・アルベルト・バッジオから息子のイバノ・バッジオに引き継がれモペットから生産を開始しました。

1974年になると本格的なモトクロッサーの生産を開始し、モトクロス世界選手権シリーズに鈴木都良夫選手を擁し参戦しました。
レースのノウハウを市販車へとフィードバックするその思想は、現在でも継続されています。

モトクロスでの活躍が注目されていたアプリリアですが、1980年代初頭にはエンデューロ、トライアル、オンロードモデルと製作されています。
1990年代には実用バイクの生産も開始し、モト・グッツィ、ラベルダなど有名メーカーを買収するなど頂点を迎えますが、事業の失敗や目玉ともいえるレース活動に資金をつぎ込み過ぎたため財政難に陥り、2004年ピアジオの傘下に入ることになります。
ピアジオはイタリアで有名なスクーターメーカーですが、現在でもアプリリアのスクーターは同社名で販売されており、そのブランド力は衰えていません。

レースでの活躍

アプリリアのレース活動は当初はモトクロスでしたが、その活躍の場はサーキットへと移ります。
1990年代小排気量の2ストローク125ccと250ccで活躍しました。
アプリリア参戦以前は、技術が特出した日本製バイクの活躍が目立っていましたが、アプリリアのマシンは優れていたといわれていたピストンリードバルブを使用せず、旧式であるリードバルブを使用し馬力を向上させることに成功しました。

特にその速度差は250ccクラスで大きく、後にアプリリアワークスに入ることになった原田哲也をもって「ビアッジ(当時のライバル)に負けているのではない。アプリリアに勝てないだけ」といわせるほどでした。
またアプリリアは日本人ライダーとの付合いも深く、前出の鈴木や原田、さらに125ccの坂田和人とも契約しています。
原田は250ccクラスだけではなく、後に参加することになる500ccクラスでも新開発のアプリリアのマシンに乗っています。

レースのノウハウがつぎ込まれたアプリリアのレプリカマシンは、高価なパーツが装着されかなり過激な仕様になっています。
国産のレーサーレプリカより扱いも難しいので、初心者は注意が必要です。

すべてを作っているイメージがあるアプリリアですが、250ccクラスレプリカであるRS250はスズキRGV-Γのエンジンが。
1000ccV2エンジンはロータックス社製が使用されています。
過激なレプリカが目立つアプリリアですが、ツアラーやネイキッド、オフロード車やスクーターなど扱いやすいモデルも発売されていますので、意外と間口が広く、日本人にも親しみやすいメーカーだともいえます。

冬ツーリングの注意点

冬ツーリングの醍醐味を知る

これから冬にバイクでツーリングを行いたいと考えた時、その魅力を考えていくことでしょう。
実は季節としては寒さを感じる時期ですが、冬ツーリングは体に優しいです。
というのも昔は冬というのは、バイクだと暖機運転を行わなければ乗ることができないといわれていた乗り物でした。

しかし現在ではFI化によって快適な走行ができるようになっています。
空冷エンジンであるセローというのは、夏は長い距離を走って行くと熱ダレすることがあります。

冬は空冷が威力を発揮していきますので、ツーリングをしていても快適に感じることができます。
爽快感も冬ツーリングでは感じることができるでしょう。

そして道路が空いているというのも冬ツーリングの醍醐味です。
どうしても渋滞が多くなってしまう夏場やゴールデンウィーク中などは、ツーリングには向いていません。

しかし正月などは帰省によって街中が空いていることが多いです。
昼間に都心部をツーリングしてもいいでしょう。
虫なども多くありませんので、苦手という方にも向いています。

注意点はツーリング中の保温

冬ツーリングにおいて注意しなければポイントとして、最も大切なのはライダーの保温です。
体が徐々に冷えていきますので、風を通さない服装を着用しなければなりません。
ジャケットやパンツを選んでいくとともに、保温素材のフリースなどを下に着るようにしましょう。

ただ寒ければ多く着るという定義は合っていません。
ごわごわになってしまうと、冬ツーリングを行う際に操作を妨げてしまうことがあります。

組み合わせも気をつけなければなりませんので、着用には注意しましょう。
さらにジャケットの袖口であったり、襟元より風が入ってきてしまいます。
急激に体温を下げていきますので、ツーリングにおいて開口部は要注意です。

近年は電池やバッテリーを利用して、電源に発熱していくジャケットであったりパンツも多く販売しています。
財布に余裕があった時は活用していくと、ゴワゴワになったりモコモコになることがありません。
グローブの選択についても、ウインターグローブなどを利用して寒さを防いでいくように最善を尽くしましょう。

ツーリングのプランは夏以上に気をつける

冬の間は日が早く落ちてしまいますので、目的地や自宅にたどり着くプランを綿密に組んでいくようにしましょう。
そして休憩時も体温を下げていかないようにホットコーヒーを飲みたいところでしょう。
しかしコーヒーは利尿効果が高く、走行風によって冷えてしまうとトイレにすぐ行きたくなってしまいます。

極力コーヒーは避けながらツーリングを行うようにしましょう。
冬ツーリングは寒さの対策だけではありません。
コース編成もしっかりと時間を考えて組んでいきましょう。

トライアンフの波乱に満ちた歴史

波乱に満ちたその歴史

トライアンフはイギリスのメーカーで、その歴史は古く、1885年に設立した輸入貿易会社がその原型とされています。
当時普及しだした自転車を扱い、1887年自社製造を手掛けるためトライアンフ・サイクルを設立しました。
そしてオートバイが登場すると、1902年他社製エンジンを自社製フレームに搭載した1号車を登場させ、1905年にはエンジンも自社製のバイクを登場させ、1906年にはトラアンフ・エンジニアリングと変わりました。

トライアンフのバイクは1907年に始まったマン島TTレースで活躍し、その完走率の高さ(当時のバイクでは完走すら難しい)と1908年の優勝により高評価を得ることになります。
そして第一次世界大戦のおりには、連合軍の車両として使われ、より一層評価を高めることになります。
ですがこの大戦後、トライアンフは波乱に満ちた道を歩んでいくことになります。

1923年4輪車の発売を開始。
1932年自転車部門売却。
1936年オートバイ部門買収される。

1939年第二次世界大戦勃発、空襲を受け工場壊滅。
1951年BSAへ売却。
1960年代後半日本製バイクにより業績悪化。
1973年ノートンと合併。

1977年合併会社倒産。
1984年トライアンフの商標権や生産権が購入されトライアンフ復活。
しかしライセンス生産の条件がオリジナルに忠実であったため、現在の環境基準に適合しておらず1988年生産終了。

1990年現在の会社が設立。
1991年本格生産スタートと、トライアンフの名前は継続していますが、経営母体は幾度も変わっています。

現在のトライアンフ

波乱に満ちた歴史を歩んでいるトライアンフですが、第二次大戦中にメリデンに工場が移され、その工場から名車が数々生み出されています。
この時代を彷彿とさせる懐古調のデザインは空冷2気筒を搭載し、ボンネビル、スラクストン、スクランブラーとして今も継承されています。

トライアンフの代名詞といわれる3気筒エンジンは現在では水冷化し、スーパースポーツやツアラー、デュアルパーパスモデルなどの主力として搭載されています。
マルチでもツインでもない並列トリプルは、バイクエンジンとしては珍しく、その出力特性や振動とともに人気の一つとなっています。

またトライアンフはクルーザーも製造していますが、スピードマスター、アメリカは空冷並列2気筒。サンダーバードは水冷並列2気筒を搭載しています。
そして市販車最大排気量の2294ccを誇るロケットシリーズは、並列水冷3気筒を搭載しています。
この排気量ですと1気筒あたり約764ccとなり、単気筒で以前の国内最大排気量であった750ccをゆうに超えることになります。

このエンジンは排気量の割りに馬力は148psとスポーツバイクほどではありません。
ですがトルクがとてつもなく、221Nm/2,750rpmと乗用車並です。

バイクとしては最重量級である374kgですが、自動車並みの重量ではありません。
低い回転域から発生する自動車並のトルクは、重い車体をものともせず別次元へと加速することが可能となっています。

特殊なメーカー!ビューエルとは

特殊なメーカー?

ビューエルはオートバイメーカーというより、ブランドといえるもので、他のメーカーと違う点がいくつかあります。
1983年、ハーレーダヴィットソンのエンジニアであったエリック・ビューエルがRW750を製作したことに端を発します。

その後エリックは1986年、独立しビューエルモーターサイクルカンパニーを設立することになるのですが、ハーレーダビッドソン製のエンジンをオリジナルフレームにマウントするという、ビモーターと同様の形式を取っています。
ですがビモーターは複数メーカーのエンジンを搭載していましたが、ビューエルは一貫してハーレーのエンジンを使用していました。

そして1998年ハーレーに買収され自社ブランドとなると、当然のようにそのエンジンが搭載されることになります。
ですがハーレーブランドであるビューエルが、ロータックス製水冷Vツインエンジンを搭載した1125Rも存在しています。

ビューエルはハーレーのエンジンを搭載し、ハーレー内のブランドであるのに、別会社のエンジンも積んだことがあるという変わり種なのです。
そして2009年ハーレーはスポーツ・バイク分野からは撤退することを発表しました。

しかしエリックはエリック・ビューエル・レーシングを設立し、2010年ホンダと合弁解消したインドのヒーロー・モトコープと2012年技術提携し、2013年その傘下に入りました。
2014年にはスーパーバイク世界選手権にシリーズ参戦しています。
ハーレーの撤退以降、市販車の販売はされていませんが、ヒーローエンジンを搭載したビューエルが登場するかもしれません。

マシンの特性

ビューエルのマシンは、現在レースに不利とされているハーレーのエンジンを搭載していることが最大の特徴です。
ハーレーはアメリカンツアラーの代表ともいえるスタイルをしており、馬力よりも低速域でのトルク重視で、スポーツにはまったく向いていません。

ビューエルは大型ツアラーであるハーレーの真逆ともいえる、超ショートホイーツベースを実現し、俊敏なハンドリングを実現させています。
V型2気筒の特徴ともいえる振動は、ラバーマウントにより押さえ、マフラーやサスペンションエンジンなど重い部品を中央下部に集めることにより、操縦性を上げています。
また鈍重であったV型OHVをチューニングすることにより、レスポンスを高め、基本的なトルク特性により出足と立ち上がりに強いマシンへと変化させています。

ビューエルのシリーズには、ストリートタイプのライトニング。
カウル付きのファイヤーボルト。
未舗装路も走行できるマルチパーパスモデルであるユリシーズがあります。
いずれのモデルも、ハーレーエンジンを搭載していながら、国産マシンに匹敵する軽さであり、俊敏な動きを実現しています。

スクリーンでも活躍!ベスパ全て

スクリーンの中でも活躍

国内で古くから一般人に認識されている輸入2輪車といえばベスパをあげて間違いありません。
ハーレーダビッドソンを挙げる人も多いと思いますが、ハーレーはバイク乗りの間で有名であり、バイクに詳しくない人にとっては、やはりベスパがその代表といえるでしょう。

その最大の理由は、有名作に登場していることです。
1953年公開のローマの休日では、グレゴリー・ペッグがオードリ・ヘップバーンとローマの街を二人乗りしたことで有名です。

当時は娯楽といえば映画でしたし、現在でもこの映画は名作として伝えられています。
バイクの名前を知らない人でも、あのシーンが印象に残っている人は多いのです。

1973年公開のアメリカン・グラフティではゴミ箱に追突するシーン。
1979年公開のさらば青春の光ではライトやミラーなどで装飾されたモッズ仕様が登場し、スクリーンを彩っています。
この名作の公開により、バイクを知らない一般の女性たちも、名前を知らずともベスパというバイクが認識されていきました。

では一般の男性はというと、1979年放送の探偵物語がその役を担うことになりました。
松田優作氏演じる探偵の工藤俊作の愛車としてベスパが登場しています。

2ストロークの特徴というべき白煙を必要以上に吐き出し、カッコいいとはいえませんでした。
ですがそれまで2枚目でハードな役を演じてきた俳優が、3枚目を嬉々として演じる姿と相まって、カッコ悪いのがカッコいいと認識され、ポンコツの演出を受けていたベスパも、愛されるようになったのです。

現在でもこの作品は人気が高く、フィギュアなども販売されています。
その際衣装や小道具と合わせ、同種のベスパもモデル化されています。

リアルなベスパの問題

スクリーンでの活躍により、ベスパにはまった人は多いのですが、その扱いに困った人が多かったのも事実です。
そしてスクリーンに登場したベスパは型が古く、ミッション付きになります。
また通常のバイクのミッションとは異なり、変速方法も独特なものですので、バイクに乗り慣れた人であっても苦労するのは当然だといえるのです。

またベスパは国産スクーターと違い、カウル類がスチール製になっています。
そのため旧式を買うと、日本とイタリアの気候の違いにより錆が出ていることが多く、穴が開いていることすらあるのです。

現在のベスパ

ベスパの名前はイタリア語でスズメバチを表します。
以前は2ストロークエンジンを搭載しており、その排気音がハチの羽ばたきに似ていたのが由来となっています。

ですが現在は環境問題により、2ストロークは廃止され、4ストローク化されています。
スチール製のボディに対し、4ストのエンジンではトルクが足りず、以前のような出足は期待できないかと思われましたが、新型はそのようなこともなく、シティライフに見事に対応しています。

ベスパというと前出したように古いタイプ、特にヴィンテージシリーズに人気が集まり生産終了後、再販がされるほどでした。
現在は生産終了していますが、クラシカルな雰囲気を残しつつ新技術を取り入れたデザインへと進化しています。

ワールドチャンピオンに輝いたドゥカティとは

日本車以外で初めてのワールドチャンピオンになった

1961年、マン島TTレースでホンダが初優勝して以来、日本製のバイクは世界のオートバイレースの中心であり、一時期は日本製でないと勝てないとまで言われていました。
ですが1978年無敵艦隊といわれたホンダRCBをマン島で破り、日本車以外だと勝てないといわれたスーパーバイク世界選手権では無敵を誇り、そしてMotoGPで日本車以外でワールドチャンピオンに輝いた初のメーカーがドゥカティです。

ドゥカティは1946年発売のクッチョロ以降、常にレースに関わってきました。
そしてレースの節目の際には、超過激ともいえるモデルを発売しています。

マン島で優勝した翌年の1979年にはマイク・ヘイルウッド・レプリカ。
目まぐるしく変化するスーパーバイクのレギュレーションに合わせ、888から916、995、996、999、1098。

MotoGP優勝の2007年にはMotoGPのフルレプリカであるデスモセディチが販売されています。
マニア涎垂のこれらのモデルは、免許があれば載ることが可能ですが、あまりの過激さゆえに載り手を選ぶことでも有名です。

初心者には厳しいマシン

ドゥカティといえば、パイプフレームにL型エンジンを搭載することで有名ですが、このL型というのはV型エンジンを傾け、下側のシリンダーが地面と水平になるほど寝かせています。
そのため機能的にはV型なのですが、L型と呼ばれているのです。
日本製とまったく異質なドゥカティですが、インジェクション化などにより、以前よりはマイルドなセッティングになっていると言われています。
ですが限定モデル以外でもフルカウルのマシンは初心者にはお勧めできるマシンではありません。

バブル時代、国内でレーサーレプリカブームが起きました。その中でプロダクションレースにそのまま出場できるといわれたホンダNSRがありました。
普通に載るだけで、カウルに隠れるようなそのポジションはツーリングには不向きで、レースや峠など走る以外は使いようがありませんでした。

ですがドゥカティは、通常販売しているモデルであってもNSRよりも攻撃的な前傾姿勢なのです。
ハンドルも切れにくく、足つきよりもライディングの際の重心を重視してあるため、取り回しは厳しいものがあります。
またマイルドなセッティングになったとはいえ、あくまで過去のドゥカティと比べてであり、国産とは比べ物になりません。

ドゥカティの魅力

初心者には厳しいドゥカティですが、中級者以上にはそれが最大の魅力へと変化します。
国産ですと改造しないと発生しない出力特性が、無改造の状態で発生できます。
載りにくいのではなく、乗りこなす楽しさが発生するのです。

また攻撃的な前傾姿勢も他に類するメーカーはなく、スタイリングも相まって魅力の一つとなっています。
初心者には厳しいドゥカティですが、ストリート向けのカウルレスモデルも販売されています。このモデルは前傾姿勢や出力特性もストリートユーザーに対応しており、扱い易い仕様になっています。

世界屈指の足回り!BMW

第一次世界大戦後まで遡る

BMWは高級4輪車として世界的にも有名ですが、2輪車のブランドとしても有名です。
2輪、4輪ともに生産しているのは、国産のホンダやスズキがありますが、BMWは国産2社より歴史が古く、生産においても、モータースポーツにおいても早くから活動しています。

BMWの2輪の歴史は、第一次世界大戦後まで遡ります。
当初はエンジンのみの生産でしたが、すぐにオートバイ自体の生産にのりだし、1923年に最初の成功作であるR32を発表しました。
R32は空冷水平対向2気筒エンジンを縦置きに配置しているため、左右にシリンダーが車体からはみ出していました。

このエンジンはボクサーエンジンといわれ、特徴的なシリンダーのはみだしもくわえ、BMWの特徴となり、1980年代前半までは単気筒を除く2輪車はこのレイアウトのみの販売でした。
現在でもこのレイアウトはRシリーズやHPシリーズとして生産され続けています。

BMWの2輪車でまず有名になったのは、良くも悪くも第二次世界大戦のナチスドイツが使用したR75です。
サイドカー付きのR75は、サイドカーも動力で駆動し、オフロードでの使用にも対応できました。

現在でもその姿は映画などで確認することができます。
ナチスの悪名と同様に、R75の性能はヨーロッパ各地に広がることになったのです。

現在ではRシリーズは、当時のような高性能なバイクではありません。
ですが現在のバイクが持ち得ないデザインや特性などが、多くのファンを獲得し、未だにシリーズ化されているのです。

Kシリーズ

1980年代に入ると、日本製バイク進出により、空冷2気筒であるRシリーズの性能不足がささやかれるようになりました。
そこで登場したのが、水冷直列エンジンのK100です。

電子制御燃料噴射、アルミ燃料タンク、オールステンレス製マフラー、乾式クラッチなどを最新の装備し、日本車に対抗しました。
発売当初マニアにとっては、Rシリーズの味が無くなり、日本車になったと不評でした。
ですが最新技術を駆使したKシリーズは、クセがない分、操縦性も良く、安定感が高いため高速ツアラーとして人気を集めていきました。

K100は1995年の販売終了まで進化を続け、フラッグシップのK110を筆頭に、Kシリーズは現在まで続く人気シリーズとなっています。
ボクサーエンジンのフィールを楽しむ派と、最新技術の恩恵により長距離を安全に走るツアラー派と分かれているのもBMWの特徴だといえるでしょう。

世界屈指の足回り

BMWは足回りが良いことでも有名です。
テレスコピック式フロントサスペンションを採用し世界の標準になったことを皮切りに、アールズフォーク、テレレバーフォークへと進化を続け、アンチロック・ブレーキ・システムや横滑り防止装置など安全で快適な足回りを提供し続けています。

またBMWはRシリーズでパリ・ダカールラリーに参戦し、優勝しています。
4輪部門でも優勝していますので、2輪・4輪の優勝は世界でもBMWのみとなっており、現在でもそれは破られていません。

ハーレーダビッドソン

アメリカを代表する

ハーレーダビッドソンは、1903年ウィリアム・シルヴェスター・ハーレーとダビッドソン兄弟により設立されました。
エアロスミスのボーカルであるスティーブン・タイラーが「ハーレーダビッドソンは、アメリカの魂だ」と発言したように、アメリカを代表するものでその知名度は、オートバイの枠を遥かに超えています。

しかし性能的には日本製やヨーロッパ製のバイクとは格段に差があります。
古臭いV型2気筒エンジンを搭載し、バリエーションは多いもののそのスタイリングは、バイクを知らないものにとってはほとんど変わりません。

アイドリングは安定せず、アイドリング中にサイドスタンドを立てると、小刻みに移動し、端で聞いていると音はバラついて良い音色ではない。
このようなバイクがなぜ売れていて、企業的に安定しているのが不思議なくらいです。
上記は否定することができない事実なのですが、これは裏返すとすべてハーレーの良さになっているのです。

見た目だけではない魅力

古臭いといわれるV型OHV2気筒エンジンは、パーツ内の流用が効きます。
60年代のエンジンが故障しても、現在のエンジンのパーツで修理が可能なのです。
他のメーカーですと、パーツは廃番となり供給できません。

修理をしようとなると、パーツをメーカーではなく自分たちで製作しなくてはいけないのです。
このように息の長いパーツ供給をしてくれるメーカーは他にはありません。

エンジンをかけたすぐにはアイドリングは安定せず、サイドスタンドが小刻みに動きます。
これは空冷でキャブレターであることの特徴で、1シリンダーの排気量が大きいハーレー独自のものです。

OHVという単純なエンジン形式は、逆に言うと部品数が少ないという特徴があります。
部品が多い、所謂精密部品はパーツの1つに不具合が起きると故障して動かなくなります。
ですが単純な機械は、その分強く、主要部品でない限りは調子は悪くなっても止まらないのです。

似たようなデザインは、ハーレーの生産地であるアメリカの国土は広大で、少しくらい移動速度を上げても到着時間はさほど変わりません。
移動には時間が掛かり、止まる・曲がるより、長時間を楽に過ごせるポジションが大切になります。

またこの点においてもOHVは有効です。
砂漠で故障して止まってしまっては命に関わります。
単純ゆえに止まらないハーレーは、アメリカには必要なバイクだったのです。

同じようなデザインであるにも関わらず、企業的に安定しているのは、それだけ世界でも人気があり、認知されている証拠でもあります。
バイクを売って商売していますので、売れないものは作らないのです。

端から聞いてバラつき良くない音については、実は走らせながら聞いてみると気持ちの良い音に変わります。
ハーレーはそのスタイルに憧れる人も多いのですが、所有して体感することにより得られる魅力のほうが多いバイクなのです。

カワサキの挑戦

硬派のイメージが強い

「男・カワサキ」「硬派カワサキ」とカワサキを形容する言葉は、良く言えば男性を強く意識させるものですが、悪くいうと不良をイメージさせます。
カワサキのバイクはRS750(通称ZⅡ)以降、暴走族の人気が高く、1979年公開のマッドマックスにより、そのイメージがさらに強くなりました。
またカワサキはスクーターブームの際にもスクーターは作らず、客に媚びないというイメージがより一層濃くなったようです。

ですが硬派のイメージはあまり誉められたものではありません。
逆にいうと女性や初心者はお断り、乗せないのでなく乗れない、乗ったら大変だというバイクです。

カワサキは他の国産メーカーと比べると故障が多く、廃棄漏れやオイル漏れはよくあること、オイルが漏れるのは入っている証拠だともいわれました。
カムチェーンは調整してもすぐに緩んでシャラシャラと音を立て、この音がカワサキの正常の音だと揶揄する人もいました。

これはあくまで国内メーカーと比較した話で、海外メーカーと比べるとそう酷くはありません。
そのためカワサキは国内より海外での評価が高いバイクといえなくもありません。
上記の話は過去の話であり旧車の話ですが、現在も基本的なことは変わりません。

廃棄漏れやオイル漏れは減っていますが、トラブル無しということはありません。
またクセが強いバイクが多く、機械に詳しくない女性や初心者には厳しいということには変わりありません。
日本製”並み”の精度を持ち、外車のクセがあるカワサキだから、マニアックなバイク好きな男性と外国の人気が高いといえるでしょう。

カワサキの挑戦

カワサキはレース活動を続けていますが、国内の他のメーカーと違い、センセーショナルな活躍をみせていません。
JSBやスーパーバイクなどはライダーの腕で勝てても、マシンの性能で勝っているとは見えません。

それなのにレース活動を続ける理由は、バイクの性能を宣伝するためです。
圧勝で勝てない理由は、市販車とワークスマシンの差が少ないためです。

カワサキはレース車両にあまり手を加えていません。
他のメーカーと違い、ストック状態に近く誰もがワークスに近いマシンで戦っているのです。
そのためZX-10Rは、市販状態でかなり高いスペックを誇ります。
GSXRが馬力を上げるとすぐに追い越し、それ以上の武器を装着させます。

カワサキのマシンは、レースで走っているマシンがほとんどそのままの状態で販売されている。
これ以上の宣伝は見当たるはずもありません。

怪物登場

またカワサキはとんでもないマシンを登場させています。
水冷4ストローク並列4気筒998ccにスーパーチャージャーを付けたサーキット専用マシンのH2Rで、300馬力を叩き出し、直線ではmotoGPより速く走れます。

そして公道仕様のH2は200馬力となっています。
このマシンを見ると、女性どころか並みの男、怪物以外お断りという感じがしなくもありません。

奇抜なデザインが魅力のスズキ

奇抜なデザインが魅力

スズキはホンダと同様に2輪と4輪を製作しているメーカーです。
口の悪いマニアには「鈴菌」と呼ばれているのですが、その理由もまたスズキというメーカーの特徴が色濃くでたものでした。

スズキのバイクはデザインが奇抜なものが多く、技術にも突飛なものが多々存在します。
経費削減のための使いまわしや、間に合わせに作ったようなデザイン、役に立たないどころか邪魔になるような技術などを使ったマシンであってもスズキファンが購入することを鈴菌に犯されたというのですが、スズキのデザインはホンダやヤマハのように無難なデザインを選びません。
そのほとんどが新しいものを求めるように冒険をしており、それは大ヒットを生む結果になっています。

永遠の人気シリーズ

代表的なものとして、カタナシリーズやΓシリーズ、GSX-Rなどがあります。
カタナはハンス・ムートが代表を務めるターゲットデザインがデザインし、1980年のケルンショーで発表されました。
その先鋭的なフォルムが反響を呼びましたが、評価は両極端に分かれました。

ですがスズキは輸出車であるGSX1100Sの販売を1981年に開始し、大ヒットとなりました。翌年には国内向けのGSX750Sの販売を開始されましたが、当時の車両保安基準により、ハンドルを上げられ、スクリーンは排除という散々たるスタイルでした。
この基準は後に解除され、輸出車と変わらないスタイルへと変化していきます。

カタナは仕様変更を繰り返し、1986年に一度カタログから姿を消しますが、1990年に限定販売され、1991年にGSX250Sで復活します。
そして2000年に1100台限定シリアルナンバー入りのファイナルエディションが登場しその幕を閉じることになります。

RGΓはレーサーレプリカの幕を開けたバイクで、カウリングが装着された姿は一大ブームを巻き起こしました。
そしてVΓへと進化し、最後の2ストロークレーサーレプリカとして歴史に名を残すことになりました。

GSXRは耐久マシンレプリカとして登場し、特にR750は油冷という特殊な冷却方と400cc並みの軽量により人気を集めました。
レースレギュレーションにより進化を遂げたGSXRですが、国内レース、特にJSBの歴史を変えたのは常にGSXRでした。

2001年新型のGSXR1000が他メーカーを凌駕する馬力を誇り、他もそれに習うように馬力を強化させていきます。
これは現在でも変わっておらず、GSXRが革新的に変化し他が追従するという形は変わっていません。

ヨシムラの存在

鈴菌以外にもスズキファンは存在します。それはヨシムラファンです。
ヨシムラはアフターパーツメーカーですが、1978年の鈴鹿8耐優勝以降、スズキとヨシムラの協力関係は続いており、スズキは好きでなくともヨシムラは別格というファンも存在しています。
そしてヨシムラはパーツメーカーとして、スズキの市販車であるGSX400FSインパルスのマフラーを共同開発するなどパーツメーカーの枠を超えた存在でもあります。